○ショートストーリー”猫井川ニャンのHH白書”

鼠川、深遠なる穴の底にくらっとする

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こんなヒヤリハットがありましたので、対策とともにご紹介したいと思います。

エスパニョール鼠川は定年までの数十年間を第一線の現場作業に携わっていました。

数多くの現場で重機に乗り、体を動かし、監督もやって来ました。

仕事には、道路や川仕事も行いましたし、ビルなどの建築も行いました。
地下深くで仕事をしたこともあれば、地上数十メートルの高所で作業したこともあります。

鼠川にとって、どんな現場でも勝手知ったるものだと思っていました。

しかし、定年後2年間のブランクは、鼠川の間隔を鈍らせてしまったようです。

今、鼠川は少々恐怖を感じているのでした。

鼠川が立っているのは、水槽の上。
ポッカリ口を開いた開口部の前なのでした。

・・・・

今日、鼠川と猫井川は、農業用水を貯めておく水槽で、コンクリート打ちを行う予定になっていました。

水槽は地下深くまで穴を掘り、コンクリートで作られています。水槽コンクリートはすでに出来上がっています。
今回の仕事は、水槽内部の底に、仕上げのコンクリートを打つことになっているのでした。

仕上げとあって、コンクリートの量は、それほど多くありません。
そのため、2人で作業することになったのでした。

「よし、それじゃ猫井川は、水槽の下に降りて、型枠を組んでくれ。
 わしは上から材料を下ろしていく。」

「はい。分かりました。」

簡単に段取りを確認すると、猫井川は必要な工具が付いている腰ベルトをを着け、水槽内のタラップを降りて行きました。

鼠川は、あらかじめ切っていた型枠用のコンパネを、水槽の底まで降ろすために、ロープでくくり、準備しました。

猫井川が水槽の底に到着すると、少し足元を掃除し、準備にとりかかりました。

「鼠川さん、オッケーです。
 型枠下ろしていって下さい。」

その声を聞くと、鼠川は型枠をロープで吊り降ろしにかかりました。

「よーし、いくぞー。」

するすると少しずつロープは延び、荷物は下がっていきます。

鼠川も何の気なしに下ろせていました。

「オッケーです。取り外します。」

水槽の底で、荷物を受け取った猫井川は、ロープをほどきました。

「次のをお願いします。」

その声を聞くと、鼠川はロープを手繰り寄せ、次の型枠をくくりました。

「鼠川さん、それにしても、この水槽は深いですね。
 10メートルくらいはあるんでしょうか?
 上まですごく遠く感じます。」

鼠川は、猫井川のそんな声を聞くと、はははッと少し笑い、次の荷物を降ろす準備にとりかかりました。

「まあ、そうだな。落ちたらひとたまりもないな。
 でもこれくらいの高さのところとかは、よく仕事したもんだぞ。

 昔なんかは・・・」

そう言いかけた時、鼠川の手の動きが止まりました。

さっきまで気にもしていなかったのに、水槽の高さを意識してしまったのです。

思ったより高い。
落ちたら死ぬ。

そんなことが頭をよぎったのでした。

怖い!

今まで現役の時には感じたことがない恐怖が鼠川を襲いました。

少し頭もクラクラしたのを感じます。

「鼠川さん?」

急にロープが止まったことで、猫井川もどうしたんだろうと疑問に思います。

鼠川は止まったままです。

「鼠川さん?どうしたんですか?大丈夫ですか?」

鼠川の様子が心配になった猫井川は、大きな声で叫びます。

「お、おおう。大丈夫。ちょっとくらっとしただけだ。
 いくぞー」

少し弱々しい声を出しながら、鼠川は答え、またロープを下ろしました。

「鼠川さん、大丈夫ですか?」

「だいじょうぶ。だいじょうぶ。
 でもちょっと転落しないように、端から離れるから、壁沿いに荷物をおろしてもいいか?」

確かに、上から見下ろすと怖いだろうなと察した猫井川は、元気よく答えます。

「オッケーです。少し離れたところからロープを延ばしていって下さい。壁沿いまで行きますので、大丈夫です。」

「おう、すまんな。」

猫井川が型枠を外し、またロープを手繰り寄せながら、鼠川は答えます。

「鼠川さん、おれの方でコンクリ打ちますので!」

「頼むよ。」

やっぱり年なのか、高いところで少し恐怖を感じてしまうとは。

鼠川は、自分に起こった心情の変化と、それを察して仕事をする猫井川に、少し頼もしさを感じたのでした。

今回は鼠川が高所でくらっとした話です。

高所恐怖症でなくとも、高所で手すりもなんにもない場所に立ち、下を見ると引き込まれてしまうような感覚を覚えてしまいます。

グラングランと回っているような、なんとも言えない感覚です。

スカイツリーや東京タワーなど、もう人が小さな点にしか見えないほど高い場所だともはや感覚が薄れてしまいます。
一番生々しいのは、数メートルから十数メートルくらいの高さです。
落ちたら痛いだろうな、死ぬだろうなということが、リアルに感じられる高さです。

バンジージャンプの高さくらいが、たまらなく怖く感じるのではないでしょうか。

実は、水槽でクラクラは、先日私が安全パトロールに行った時に、感じたものです。

水槽の天端に立ち、下を覗いたところ、妙にくらっとした感じがありました。

他の作業員は平気で作業していたので、慣れもあるのかもしれませんけども。

安全パトロールでは、不要な開口部は安全ネットをつける、覆いつけるなどの是正を指示しました。

人間とは不思議なもので、日常的に高所で作業していると、最初は怖くとも、徐々に慣れてきます。
足場でも、最初はゆっくり慎重に歩いていたのに、慣れてくると大胆に早く歩くことができるようになります。

しかし慣れは、油断も産んでしまうのです。

これくらい開口部に近づいても平気などの許容値がどんどん甘くなると、時として限界ラインを越えてしまうこともあります。
限界ラインを超えると、墜落する時。
引き戻すこともできなくなるのです。

慣れは仕事のためには大切です。
しかし、過剰な油断は禁物なのが、高所作業といえるのです。

それでは、ヒヤリハットをまとめます。

ヒヤリハット 水槽の開口部付近で、怖くなりくらっとした。
対策 1.不要な開口部は覆うなど、墜落防止設備を置く。
2.安全帯を着用する。

高いところが怖いという感覚は、事故を防ぐ上で大切なことです。
怖さがなくなると、危険に対しても、鈍感になってしまうのです。

怖い、危険が過剰ですと、身動きができなくなるかもしれませんが、全くないというのは問題です。

程よく慣れ、程よく恐怖心と危険意識を持つことは、事故防止のためには重要な事なのです。

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