○コラム

東日本大震災から6年が経ち

話題として、ずいぶんとタイミングを失ししてしまったのですが、先日の3月11日で、東日本大震災から6年が経ちました。

当時は地震と津波、そして福島第一原発の事故と、衝撃を受けた覚えはあります。
逐一放送される状況に打ちのめされる気分にもなりましたが、一方で関西に住む私にとっては、遠い場所での出来事という認識でした。

しかし去年から、この震災は急に身近なものになっていました。

それは、仙台を拠点とする安全教育センターで、講師や安全パトロールの仕事を請け負うようになったからです。
労働安全コンサルタントになってから、安全に関わる仕事を視野に入れていたのですが、まさか関西から遠く離れた、東北で仕事をすることになるとは、夢にも思わないことでした。

とはいうものの、昨年から震災復興の現場が、身近なものになったのでした。

安全パトロールでは、仙台を中心に石巻、女川、南三陸などの建設現場に伺いました。
工事は災害復旧のものが多く、防潮堤工事や復興マンションなどがあります。
中には、震災遺構の保存工事などもありました。

私は震災直後の状況を目にしてはいません。
寄付はしましたが、ボランティアに行ったりはしていません。
そのため、瓦礫が残るなどの生々しい状況は見ていません。

震災後5年が経ってから目にする震災の傷跡は、一見すると薄らいでいるように見えたものの、あちこちに残る空き地などが、被害の大きさを物語っていました。女川町や南三陸町は、町全体が変わってきています。

震災直後の話も、色々聞きました。建設関係の仕事をしている人たちなので、ご自身も大変な状況の中、津波で流された車を片付けたり、瓦礫を処理したりなどの仕事をされたという話を聞きました。中には、片付け作業の途中で、遺体を目にするという経験をされた方も少なくありませんでした。

あの震災は、お一人お一人に忘れられない物語を刻んだと言っても過言ではありません。

震災から6年。
宮城県では、復興に向けて進んでいると思います。震災復興関連工事の発注も、落ち着いたようです。
しかしまだ工事は続きます。

そして福島県は立入禁止区域が解除されることもあり、復興工事は続きます。

復興工事は急ピッチに進んでいます。
急ピッチな工事のため、人も機械も慌ただしく動いています。
その結果、どうしても増えてしまっているのが事故です。

震災があった平成23年から26年までの労災事故のデータがあります。

 

死傷者、死亡者ともに建設業が突出しているといえます。

全国平均と比較すると、土木工事が特に多いといえます。しかも年々増えています。
防潮堤や地盤嵩上げなど幅広い工事のため、相対的に事故が増えているのだと思われます。

これは単純に工事件数が多く、従事する母数が多いため、相対的に事故件数が増えているといえます。
とはいうものの、被災地を復興し、新たな生活基盤を作るための工事です。その工事で大きな怪我をしたり、命を落としたりするのは、何か違う気がします。

もちろん、私も縁があって、宮城県内の建設現場でパトロールに回っています。
安全にかなりの予算をかけ、力を入れている会社も少なくありません。少なくとも外部コンサルタントを頼む会社は、相当力を入れていると言っても過言ではありません。

震災復興で、仕事が増え、忙しくなるため、相対的に事故が増える。
この問題は、今後の福島県内の復興工事でも続く可能性があります。

東北以外でも熊本や鳥取などの震災復興でも同様になると予想されます。

震災では多くの方の命が失われました。さらに数多くの方が行方不明のままです。
震災だけでなく、その後の復興工事で命を失うことは、避けなければならないでしょうか。

復興工事は、その後形に残る仕事です。
家族に自慢できる仕事です。

願わくば、全ての復興工事は、携わった一人一人が工事完了後、家族に一緒に訪れ、説明できるように全うする仕事であればと思います。

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