厚生労働省労働局長登録教習機関
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私は以前、営業研修の会社にいました。
そこで、心身ボロボロになったのですが、学ぶことも多かったです。
当時は「そんなものか」と理解していたものも、今となっては「なるほど」と思うことも少なくありません。
その会社で提供している研修は、「営業スキル」などもありましたが、メインになるのは自己啓発というものです。
自己啓発セミナーというと賛否はあるでしょうが、一時的にせよ自分を見つめ、モチベーションアップになるのは確かです。否があるとすれば、その後の営業攻勢にあるかと。
それは、ともかくこの会社でやっていた自己啓発セミナーは、完全オリジナルではありませんでした。元はアメリカで開発されたもので、日本人向けにアレンジされたものです。
どんな内容かというのは、原則として秘密です。これはほとんどが座学でではなく、ゲームなどを行うからです。それらのゲームに接して、自分を見つめることに主眼が置かれているものですから、あらかじめ内容を知っていると、インパクトが半減するからです。
いうなれば、攻略本を見てゲームをするようなもの。オチを知ってからミステリーを見るようなものです。
楽しみ、得るものを増やすためには、前知識は妨げになります。
以上のことがあるので、内容について詳細に書きませんが、セミナーの中で、特にインパクトのあるゲームがあります。
このゲームを行った時、私が感じたことは、「私はなんと他人に冷たく、思いやりが薄いのか」ということです。
「人のために役立ちたい」という思いはあるものの、それが何とも薄っぺらい思いなのかを感じたのです。
当時は、その気付きに打ちのめされて、本心から人の役に立てるような人間になろうとあがいたものです。
しかし、今となってふとこのゲームの事を思い出すと、何ら変わっていないんだあと感じてしまいます。
安全に関する活動とは、働く人たちが怪我や病気を起こさないようにすることです。
仕事として行うのはもちろんですが、根底にあるのは、目の前の人を傷つけないという思いがなければなりません。
それなりに情熱が必要です。
先に紹介したゲームでは、自分と相対する人、例えば商品を販売する相手、同僚について思いを改めます。
自分の商品を、家族や友人といった大切な人に、売れるだろうか、と考えるのです。
いい加減なものは、売りたくないのではないでしょうか。
使っていると害を受けるようなものは、決して売らないでしょう。むしろそれとなく止めるのではないでしょうか。
これは、自分の周りにある人間関係を、身近な人達に置き換え、思いを新たにすることです。
もし、一緒に仕事をするのが自分の子どもだったら、安全帯なしで屋根で作業しているのを放置できるだろうか。
よくある置き換えの考え方かもしれませんが、そういう視点で安全管理というものを見ると、違ったものにみえるのではないでしょうか。
もし、一緒に仕事する人が、大切な人だったら、無関心でいられるでしょうか。
もし大切な人に危機が及べば |
「大切な人」の部分には、家族以外でも特に関心の高い人を置き換えてもよさそうです。
事業者であれば、一緒に作業する1人1人は大切な人です。
コマだとしか思えないのであれば、この記事の内容とは思いが違います。
仕事仲間であれば、中には気に食わない人もいるでしょう。さほど接点のない人もいるでしょう。
あなたにとって、どんなに気に食わない、関心のない人であっても、その人の周りには、その人を大切に想う人がいます。
誰かを失うということは、その誰かの周りの人の悲劇になります。
普段は忘れていますが、人は1人では生きていけず、何かしらの人間関係を持っています。
安全というものは、この1人1人の人間関係を守ることでもあるのです。
考え方1つですが、無関心を関心事に変えることができます。
それが、一緒に仕事する人が、もし○○だったらです。
○○には、大切に思う人が入ります。
実際には、目の前のおっさんを見て、これが。。。と思うかもしれません。
その分は、何とか想像力で補うしかないのですけども。
実は、ふとこんなことを思ったのが、これを書く気きっかけになりました。
もし、一緒に仕事をする人が菜々緒だったら。
いや、ふとこれを思った瞬間、なんというか悟りを開いたような、そんな感じでした。
そりゃ、この上なく大切にする、見張ることでしょう。かすり傷ひとつ負わせるものですか。
しかし一方で、もし菜々緒と一緒にしたならば、(実際にその環境にいる人はいるのですが)心は弾むでしょうが、一方で緊張して直視できないかもしれません。
なんという両刃の剣な妄想なのかと、我が事ながら愕然としてしまったのでした。
要は、誰でも大切な人や、大切なことは大切にするわけです。理屈じゃないわけです。
人が傷つく、死ぬというのは、やはり理屈を超えて避けたいことです。
ならば、周りの人を大切に思うための手法は、あれこれあっていいんじゃないかと思います。